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2017年8月23日水曜日

タイでのお産・・その3『泣かない娘』




もうすぐ娘の(長女)誕生日です。


これまで息子と次女のお産のときの様子を、ブログに書いてきました。


今回は長女の妊娠・出産時のことを書こうと思います。


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目次


1.出産予定日

2.つわりの状況

3.嫌いなのに・・・食べたい!は胎児の欲求?

4.自然分娩で産みたい!と『願』をかける

5.出産前後の病院で・・・

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出産予定日は、最終月経があった月からマイナス3ヶ月


日にちは最終月経日プラス7日で換算される事は、皆さんご存知の通りです。


その計算で行くと・・・9月12日が予定日でした。



息子のお産の記事で書きましたが、私は『帝王切開』で息子を産みました。


ものすごく健康で、生まれる数日前まで仕事をしていたのですが・・・



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 タイでのお産 その2



初めての妊娠で、母はそばにいないし国際電話も・・・





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二度目のお産は、予定日よりも早く出産しないと危険なので

(陣痛で子宮が破裂する恐れがあるので)

担当医から、出産日を決められての『出産』となりました。



妊娠第37週で、2450g 46cm の小さな女の子でした。





娘を妊娠した時、息子はまだ1歳三ヶ月で、誕生前(一歳)に歩き出した息子は


すでに走っていました。



常に動いているわけではありませんでしたが、動く事が好きで



タイによくあるプレイランド(滑り台や橋、ボールなどが置いてある)


で、少し大きな子供に混ざって、上ったり降りたり自由に遊ぶほど


腕白な子供でした。



周りで見ている大人たちも『あれっ!あのちびちゃんすごいね』というほど・・・






つわりで何も食べられず、動く事もできない毎日だったので


息子はナースリーにあずけました。







息子の時もつわりが酷く、味のないパン・水・プレーンヨーグルトくらいしか


食べられないのが、5ヶ月頃まで続きましたが


娘の時はもっと大変で、ほとんど何も食べられず、とにかく気分が悪くて


トイレまで歩いていくのも大変!という感じでした。





そんな状態が二ヶ月くらい続いて、

人生で一番痩せたかも!というほど痩せた時期です。


その後、オレンジジュースやパン・いちごジャムなどが

食べられるようになりましたが


食べても、吐くというのが6ヶ月頃まで続きました。




 嫌いなのに・・・食べたいのは、胎児の欲求?  


私は、好き嫌いなく何でも食べる方ですが、肉類はあまり好んで食べません。


出されれば食べますが。。。


でも内臓(レバー)は、味が嫌いで出されても、手をつけません。



それなのに、『レバー』が食べたくて、食べたくて・・・よく食べていました。



娘は『レバー』が大好きです。


それと・・・いちごジャム・いちご味のアイス・ポッキーのいちご味など。



私が食べたいと感じるものは、『私が』ではなく『娘』が、食べたかったのです。



息子の時は『納豆』でした。息子は『納豆』が、大好きです。



娘達は『納豆』が苦手です。


『自然分娩』で生みたいと『願』をかける    



ふたり目は『自然分娩』で生みたいと思い、通っていたクリニックの先生に


訪ねてみると『ひとり目が帝王切開でも、大丈夫ですよ』と言われました。


ところが・・・



クリニックでは出産設備がないので、国立病院に転院すると


担当医師は『だめです。帝王切開ですよ』と冷たく言われました。



それでも諦められず、何か道はないかと・・・『願』をかけていました。



それは、出産予定日まで毎日心をこめて、小さな『徳積み』をすることでした。



その願いが叶ったかと思われたのは、明日入院するという前日でした。



帝王切開の場合は、予定日の一日前から入院しなくてはなりません。


その前夜に知りあった人が


『ふたり目の時、自然分娩でも産めるけどどうする?』


と、医者から言われたというのです。


それを聞いてとても迷いました。


明日入院する事がすでに決まっています。


その人の担当医を紹介してもらうには、もう『時すでに遅し』という段階でした。




私の願いを聞いてくださる神様はいる。でも、どうするか決めるのは私なので・・・


やはり当初の予定通りに、翌日入院しました。


 出産前後の病院で                

入院して何をするかというと・・・


『絶食』と『胎児』の診察です。


入院した部屋は大部屋で、十人以上の妊婦さんがいました。



待機室だったようです。


痛そうに声をあげている人、おとなしくしている人と様々です。


隣に寝ていた女性は泣いていました。


ふたり目か、三人目なのだけど、


おなかのお子さんがすでに亡くなっていたのです。


臨月と思われるほど大きなお腹でした。どれだけショックでしょうか。


亡くなっている子を、促進剤を投与して出産するのです。





一日絶食して、翌朝出産のための準備をしました。


その時、その日に出産予定の妊婦が、私を含めて三人だと知りました。


ひとり目が9時に呼ばれ、次が11時でした。


最後が私で1時に、分娩室に運ばれましたが、廊下で一時間ほど待たされ



2時過ぎに分娩室にはいり、僅か18分で娘が取り上げられました。



全身麻酔で意識がない中、担当医が私の名前を何度も呼び


『女の子よ』と教えてくれました。



私は『女の子・・・やっぱり・・・』とつぶやきながら、でも意識は戻らず


そのまま病室に運ばれたようです。

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五円玉で占う

超音波で教えてもらえませんでしたが、私はお腹の子が『女の子』だと
確信していました。

以前も書きましたが、五円玉で占うことができます。

紐をつけ、手のひらの上に五円玉が来るように持ち
『最初の子は、男の子?女の子?』と聞くだけです。
すると、五円玉は自然に動き出します。
縦にふれたら、男の子。
回るように動いたら、女の子です。


この要領で、2番目・3番目と聞いていきます。動かなくなったら、それ以上生まれないと言う事です。あくまでも、生まれる可能性であって、何人産むかはご本人の自由です。


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病室は6人部屋でした。といっても、


大きなフロアーが6人ごとに仕切られているだけなので、

実際には30-40人くらいいたと思います。



同室の見舞い客がじろじろ見る視線などを感じながらも、意識ははっきりぜず


何時間か経った時、すでに消灯されていたので、夜中だったのかと思います。


看護師が娘を連れてきて隣に寝かせてくれました。


まだ点滴をしていたので、横になったまま授乳をして、娘の顔を覗き込むと


夫にそっくりな顔をしていました。



次の日点滴は外され、小さな乳児用のベッドに寝かされて娘が運ばれてきました。


その部屋は、皆帝王切開をしたお母さんたちで、子供達は皆未熟児でした。


同じ日に生まれ同じ部屋になった子供達は、その日から光線治療を受けました。


黄疸が出ていたのでしょう。その為の治療かと思われます。


カーテンがついた乳児用ベッドには、蛍光灯がつけられていて


そのベッドにアイマスクだけをした、子供を裸のまま寝かせます。


お尻の下におむつを敷いて、濡れたら交換し、おなかが空いたら授乳します。




娘は、おむつが濡れても、おなかが空いても泣かず、

『あっ。あっ。』と言って教えてくれました。


娘が泣くのは、検査の為に足から血を採取する時だけでした。



何人もまとめて、採取していくので、泣き声も順番に上がっていきます。



私の前では泣かない娘でしたが、不思議ですね。


見えないところで泣いている娘の声がどれなのか、はっきりと分かるのです。



泣き声が上がったら、終わった証拠なので迎えに行くと



私が『娘の泣き声だ』と思った声は、やはり娘のものでした。



国立病院では、乳児に処方する薬などすべて


薬局に買いに行かなくては行けません。


処方箋が出されるので、それを病院内の薬局で買ってくるわけです。



つまり・・・私は動けないので、夫が来なければ娘の薬も準備できないのです。



同室のお母さんたち(皆19歳から22歳位)は、ずっと付き添いがついています。


ご主人だったり、お母さんだったり・・・



食事もワゴンで運ばれてきたものを、自分で取りに行かなくては行けません。


点滴が外されても、お腹が痛くて歩くのも大変です。



その上子供のおむつなど、病院から支給されるものでは足りず



洗濯までしなくてはなりません。



他の部屋のお母さんたちがおむつを干したりしていたので、


私も洗って干して使っていました。



食事は、隣のご主人が毎回持ってきてくれたので助かりました。



彼はまだ二十歳でした。学生かもしれません。



薬代など、見舞いに来たお姉さんと思われる人が、出してあげていましたから。




息子の時は出産した日を入れて、5日間の入院でしたが


娘の時は、前日・出産日その後丸一週間と、計9日間入院しました。


普通分娩は3日です。


この間夫は、息子を連れて毎日夕方来てくれました。


日本だったら小さな子供は嫌がられますが、タイではとても喜ばれます。


タイの人は小さな子供が好きなので、病院食も『食べなさい』と


よそってくれるのです。規則に縛られない、そういうところが好きです。


時には『早く家に帰りたい』と弱気になりましたが


娘に『ふたりで頑張ろうね』と話しかけながら、何とか乗り切りました。



9日間の入院費用は、分娩費・部屋代・食事代全て込みで


5800バーツ(約2万円)でした。


三人の中で一番リーズナブルでした。


おむつが濡れても、おなかが空いても泣かない娘は、出産費用でも親孝行してくれました。


9日間の入院を終えて帰宅して体重を量ると・・・8キロも痩せていました。


息子の時は3キロでした。


すでに妊娠前に近づいています。


寝る暇もなく慌しく過ごした入院生活のおかげで、回復が早かったようです。





そんな娘の18歳の誕生日が迫っています。


どんなケーキを作ろうか?と思案中です。


『ケーキ』の件は、又この場でご報告させていただきたいと思います。


読んでくださりありがとうございました。



















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